パワプロオリジナル選手紹介③

(引退済みのため写真はありません)

久保木毅(くぼき たけし)

2030年から40年にかけて阪神のエースとして活躍した右腕。

2022年ドラフト2位で王子から入団。社会人としては珍しい二刀流としての入団だった。ルーキーイヤー、2年目、3年目共に一軍出場はなく、ひたすら2軍で経験を積んだ。

2024年先発ローテーション入りを果たすも3勝9敗防御率6.13という散々な結果に終わる。そこから怪我などもあり2年間は一軍出場なしに終わる。27年4試合に先発するも2勝2敗防御率5点台と結果を残すことは出来なかった。

そんな中本人曰く首を覚悟して臨んだ2028年シーズン、開幕ローテーション入りし13勝5敗防御率4.20と防御率は悪いものの自身初となる規定投球回到達、そして二桁勝利を挙げる。

翌シーズンは不調で5勝9敗と負け越し、オフにはトミージョン手術を受けたことにより2030年は一度も登板することなくシーズンを終える。

2031年は術後初めて挑んだシーズンで6試合に先発するも2勝1敗防御率6点台と振るわなかった。

2032年はオープン戦から状態が良く、開幕ローテーション入りし2028年以来の規定投球回到達、そして14勝8敗防御率2.70という成績で自身二度目の二桁勝利を挙げた。

2033年は16勝4敗で自身初となる最多賞を獲得、一気にエースの座に躍り出る。

2034年も15勝6敗で最多勝を獲得する。そしてこの年は自身最多となる200イニングを投げる。

2035〜2037も二桁勝利を挙げる。

2038年には、14勝5敗129奪三振最多勝最多奪三振に輝く。この時彼は39歳であり、これは元阪神下柳氏の持つ最年長最多勝記録を更新する。

2039年、この年は17勝1敗防御率1.70、136奪三振投手四冠に輝く。そして自身二度目の200イニングを投げる。

翌年は12勝と少し成績を落とすも2041年19勝2敗で再び最多勝を獲得する。2042、2043共に二桁勝利を挙げる。

通算200勝まで残りわずか1勝と迫って迎えた2044年は開幕戦で勝利し通算200勝を達成、そのあと6勝を挙げるも8試合目の先発でアキレス腱を断裂、そのまま引退となった。

 

 

パワプロオリジナル選手紹介②

(引退済み選手のため写真はありません)

根元弘樹(ねもと ひろき)(43)

説明不要の日本球界最高打者。高卒一年目からフル回転でそれは引退時まで変わらなかった。高校時代は打者としての能力のほか、投手としての能力も買われていた。2022年阪神にドラフト1位で入団。春季キャンプでは打者転向しオープン戦では1年目ながら3番レフトとしてスタメン出場し好調だったためそのまま開幕一軍、そして開幕を「5番 左翼手」として迎え、初打席は四球だった。

そして最終的に打率3割0分8厘、33本、110打点と大活躍しベストナインを受賞。2年は40本塁打本塁打王を獲得する。

2027年から29年、31年から32年、34年、37年から40年は本塁打王打点王を獲得し、大車輪の活躍を見せた。

2045年に引退。通算記録は3220試合出場(日本記録)3542安打(日本記録)892本塁打、2488打点(共に日本記録)打率2割8分6厘であった。

成績を置いておきます。

f:id:ryoburingo2:20200920225811j:image
f:id:ryoburingo2:20200920225749j:image
f:id:ryoburingo2:20200920225721j:image
f:id:ryoburingo2:20200920225759j:image
f:id:ryoburingo2:20200920225728j:image

 

パワプロオリジナル選手紹介①

f:id:ryoburingo2:20200920222527j:image

羽山駿也(はやま しゅんや)(38)

伸びのある直球と七色の変化球で打者を惑わす技巧派クローザー右腕。

2032年ドラフト2位でHONDAから入団。一年目は28試合に登板、防御率3.34とまずまずの成績を残す。

オフにはウィンターリーグに参加した。

2034年は69試合に登板、主に同点時などに起用され防御率1.30と抜群の成績を残す。

シーズンオフに長年阪神のクローザーとして活躍した松井裕樹が引退、後任のクローザーとして指名される。

2035年、クローザーとして挑んだこのシーズンでは防御率0.71、リーグ2位の36セーブを挙げチームの抑えとして大活躍する。

その後も、2036年2039年には最多セーブを獲得したプロ入り初のタイトルを獲得する。

2041年、サファテを抜き単独一位となる58セーブを挙げる。翌年にはさらにそれを超える64セーブを挙げる。

その後も2044〜2047で最多セーブを獲得、球界を代表する抑えとなる。

2049年現在、通算633セーブは最多である。